EXPERIENCE
走れ! マニラのジプニー
7月のマニラは、雨期真っ只中。
街中を縦横無尽に走るジプニーを、スコールが叩きつける。
ジプニーは、フィリピン名物の乗り合いバス。
米軍払い下げジープを改造して客を乗せたのが始まりで、「ジプニー」という呼び名は乗合タクシーを意味するjitneyの合成語と言われているけれど、「膝(knee)と膝をくっつけて座るJeepだから、ジプニー」だとも。 カラフルに彩られたジプニーは、大雨でもひるまない。
洪水のような道路の上を、まるで水陸両用バスのように、ジャブジャブと進んでゆく。
それはまるで、ジプニーに乗る人々のたくましさを主張するかのように、雨の街で圧倒的な存在感を放っていた。

メレンゲが聞こえる街、サントドミンゴ
カリブ海に浮かぶドミニカ共和国は、そこかしこでメレンゲが聞こえる。
首都サントドミンゴの洞窟を利用したサルサクラブでは、お洒落をしたドミニカーナが楽しそうに踊り、街中で写真を撮っていると、小さな子供が「私を撮って!」といわんばかりにレンズの前で踊りだす。
初めて訪れたとき、どういうわけか、この国の観光大臣を訪れることになった。
夕方、ドアを開けっ放しにしたまま大音量でメレンゲのCDがかかる大臣室を訪れた。
テーブルに出されたのはコーヒーではなくラム酒。
「コーヒーより、こっちのほうがいいだろう?」というようなことを笑顔の大臣に言われた記憶がある。
30分ほど話した後、帰り際にメレンゲのCDをプレゼントしてくれた。
大臣室を後にして外に出ても、まだまだ太陽は高くにあって、通りを走る車の中からは、メレンゲのリズムが聞こえていた。
観光大臣サイン入りのCDは、この国の陽気で温かな空気をぎゅっと詰めた宝物のような気がして、今でも宝物だ。

グアテマラ、カクチケル族の村へ
グアテマラ共和国、世界遺産でもある古都アンティグアの郊外、カクチケル族の村へ。
訪ねたのは、イレーネさん宅。
敷地の中には、竹を組んで造ったイレーネさんの離れと、息子さん夫婦とお孫さんが暮らす日干しレンガ造りの家、そして鶏や犬や猫が自由に闊歩する小さな庭があった。
家の中には、薪をくべた竈でコトコトと煮込まれているフリホーレス(豆の煮込み)。
その横に、カラーテレビと携帯電話が充電されていた。

曇天のイスタンブール
冬の雨の日に訪れたイスタンブールの旧市街。
広場の屋台でチャイを買い、ケスタネケバブと呼ばれる焼き栗で冷えた身体を温めながら、寒い街中を歩いた。
雨に濡れた石畳の通り、曇天の下で温かな灯りが揺れるカフェ、ゆったりと時間が流れるバザールの午後。
その時間を包み込むように、アザーンが響き渡る。
寒くて、曇天で、雨が冷たくて。
でも、とても心地のいい時間だった。
マカオを歩いていても思うのだけれど、旅先では、晴天がいいとは限らない。

ブッシュの中で
南アフリカのブッシュでは、オープンカーの4WDで朝晩、サファリ三昧。
ある日の晩、深夜に雷のすさまじい音が鳴り響き、それが静かになったと思えば、部屋のすぐ近くで「ブヒブヒーィィィッ!」という雄叫び大合唱が。
「持つべきは物でなく、サバイバル能力とよき仲間である」という思いが強くなったこの旅。
雷と雄叫びに慄きながらも、ブッシュの中のCamp Jabulaniは素晴らしかった。
レンジャーとスタッフに感謝。

レインボーネーション、南アフリカ
民主化20年を迎えた2013年、ヨハネスブルグへ。
アヴァンギャルドな再開発区、タウンシップ(アパルトヘイト時代、非白人を強制的に隔離し住まわせた居住区で、現在は住宅街)、高層ビルが並ぶオフィス街。
様々な場所を歩いていて気づくのは、この国の一番の魅力は、文化の多様性だということ。
その背景にあるのが、さまざまな民族。ヨーロッパ系、インドやマレーシアをルーツとするアジア系、白人と非白人の血をひくカラード、さらに、肌の色は同じ褐色でも、多くの民族が存在し、当然、言葉も豊富で11の公用語がある。
「ジョーバーグ」。ヨハネスブルグを歩いていると、肌の色や年齢を問わず、多くの人がこの言葉を発していることに気づく。
これは、ヨハネスブルグの愛称。
宗教や文化的背景が異なれば、問題も少なからずあるだろう。
だが、だからこそ、互いの魅力を称賛しあい、ユニークな文化が育まれているというところが、とても素敵だなあと思う。
マンデラ元大統領は自国のことを、「レインボーネーション(異なる色が重なり輝く虹のごとく、多数の人種が融和する国)」と表した。
その言葉のとおり、南アフリカは多彩で、懐が深い。

原色のジャマイカ
鮮やかなフルーツを絞るジューススタンド。
ボブ・マーレーが描かれた、首都キングストンの建物の壁。
黄色いアキーの実と塩漬けタラを炒めたアキー&ソルトフィッシュ。
真っ青な空を飛ぶエア・ジャマイカ。
ジャマイカを思い出すとき、そのイメージは常に原色だ。
その中に生きるラスタファリズムは、今でも鮮明に思い出すことができて、気分が落ち込んだときも、私を励ましてくれる。
イエローナイフ、アイスロードが生まれる冬
イエローナイフは、カナダ北限の街と聞いて淋しい場所を想像していたが、そのイメージはあっけなく覆されてしまった。
ここは、先住民やアジアからの移民など多民族が暮らすコスモポリス。
街中には、最北端のマクドナルド、最北端のケンタッキーフライドチキン……と、「最北端の」という枕詞がつくものがたくさんある。
日本人にはオーロラの街として知られているが、街の代名詞はダイアモンド鉱山だ。
この街に、冬期だけ現れるのが、凍った湖の上にできる約600kmのアイスロード。
雪の中、ダイアモンド鉱山で働く従業員のための生活物資を運ぶ大型トラックが行き交う。
春になり湖の氷が溶ければ、この道は断たれる。
空輸での物資輸送はコストが高いから、アイスロードができる冬に、1年分の必要物資を運ぶのだという。
北限のダイアモンド鉱山では、厳しい冬にこそ、生命を維持するための様々なモノがもたらさている。

VIVA CUBA
1996年の初キューバは、「モノがないなぁ、でも豊かだなぁ」という印象。
要塞の前の海では、タイヤに座った男たちが水面にプカプカと浮いていて、釣りをしていた。
夕暮れどきの防波堤では、家族連れや恋人たちが、楽しそうにおしゃべりをしていた。
物を買いに商店に入れば、モノは極端に少なくて選ぶほどもないのに、店のおばちゃんの陽気なおしゃべりに捕まった。
新市街のメインストリートには、「VIVA CUBA」のスローガン広告。
その日は配給日で、ラム酒が配れていた。
2003年に訪ねたとき、7年前と街の印象は変わらなかった(街の人は「変化してる。ゆっくり、ゆっくり」と言っていたけれど)。
2012年、3度目の旅では、相変わらずまったりとした空気に気を許していたら、詐欺にあってしまった。
でも、ラテンな詐欺師はなんだか憎めなくて、ちょっとだけ騙されてみることにした。
小国なのにアメリカと真っ向から対立していたから、モノ不足で店の商品棚はガラガラ、道路を走るのは50年代のおんぼろアメ車。
そんな質素な暮らしのなかに、キューバ革命以前の豪華な建物があり、ラテンのリズムがどこからともなく聞こえてくる街――ハバナは、いつ訪れてもそんな印象だった。
2015年、アメリカと54年ぶりに国交が正常化。
次に訪れたとき、商品棚にモノがたくさん並んでいても、音楽や文化はアメリカに飲み込まれていないことを願っている。

雨の日の東海道新幹線
梅雨の真っ盛り、新幹線で京都から帰る途中、雨がふってきて、車窓から見える茶畑が一瞬のうちに白く煙ってしまった。
水滴が静かに動く向こうに景色が流れていく光景は、何かを見たり、外国の料理を食べたりするのとは違って、移動そのものに旅を感じて、なんだかワクワクする。
雨は木々や花を艶っぽくみせるだけではなく、旅の移動中も、決して退屈させない。

乾いた街角を馬車がゆく
初めて訪れたアフリカ大陸の地は、エジプトのカイロ。
空気がとても乾いていて、建物は大きく古く、ピラミッドよりも街にいるときの
ほうが、威圧感を感じていた。
空港から街へ向かう途中に見かけた乗用車は弾丸の跡があり、その隣を、果物を積
んだ馬車がのんびりと歩いていた。

ボルネオ島でチェンジ・マイ・ワールド
木々に紐でハンモックをしばりつける。
漆黒の闇の中、動物たちの声を遠くに聞きながら眠る。
ブッシュを歩き、ヒルやファイヤーアンツと格闘しながら動物に出会う。
満天の星の下、ランタンひとつ持ってマンディー(水浴び)をする。
ただしワニが怖いから、ボートの上で。
スコールの下、ずぶ濡れになって、小船で川を下る。
熱帯雨林の濃厚な香りが雨に混ざり、全身を打つ。
便利なものが回りにある日常生活では、人が持つべき感覚や才能は、酷く鈍化している。
そんなことに気づいて、自分の弱さを再認識してみたり、今までこだわっていたモノがバカバカしく思えたり。
ボルネオの大自然は、心の中の何かを揺さぶるエモーショナルな旅に、私を導いてくれた。

人のエネルギーが混ざり合う、インドの鉄道
デリー駅で切符を買い、アグラ、ヴァラナシへと旅をした。
列車で指定席に行くと、インド人親子がすまして座っている。
「ここ、私の席なんだけど」。そういう私に母親が言った。
「次の駅で降りるから、それまで座ってていいでしょう?」。
次の駅に到着するのは、9時間後。
冗談のようなことを、真剣に言う。
そんなところに、この国の人たちのとてつもないエネルギーを感じてしまうのだ。

ニュージーランドと屋久島。森を見守る神の木
初めて訪れる国や街に足を踏み入れて思うのは、その土地に対して、いかに型にはまったイメージしか持っていなかったかということだ。
異国には、その国に抱くイージーな印象を遥かに上回る、素晴らしい光景や文化がある。
そのひとつが、ニュージーランドだ。
牧歌的でのんびりとした風景ばかりを想像してしまいがちだが、優しさと強さを秘めた懐の深い国だと思う。
ワイポウワの森に聳えるカウリの巨木「タネ・マフタ」は、屋久島の縄文杉の姉妹木。
タネ・マフタも縄文杉も、ともに神が宿る木として、地元の人々に崇められてきた大木だ。
マオリの伝説によると、タネ・マフタは天地を想像し、世界に光をもたらしたのだという。
過去にあった伐採の危機を乗り越えて今、この2本の木が姉妹定型を結ぶに至ったのは、
偶然ではなく、森の神の導きかもしれない。

現在進行形のマカオ
マカオの埋立地、コタイ地区には巨大ホテルが林立している。
数年前まで、このあたりは干潟で、ムツゴロウをとっているおじさんもいた。
タイパ島のハウスミュージアムの庭の前には、蓮の葉が水面を満たす沼がある。
対岸で始まっている急ピッチな工事を「遠い将来のこと」のような思いで眺めていたけれど、それが今、現実のものとなった。
古い建物を街灯が暖かく照らす路地裏もあれば、多くの観光客を飲みこむ巨大施設もあり。
どちらも、現在進行形のマカオだ。

チーノ? と間違えられるホンジュラス
日本からロサンゼルス、中南米エルサルバドルのサンサルバドル、サンペドロスーラ(ホンジュラス最大の経済都市で大規模な空港がある)を経由して、首都のテグシガルパへ。
日本を発って約2日後にたどり着いた街は、空気がからっとしていて気持ちがいい。
テグシガルパで出会った人たちはみな、はにかみながらもフレンドリーだった。
博物館を見学していたときのこと。校外学習中の小学生のグループに出くわし、カメラを向けたとたん、大勢に囲まれてしまった。
東洋人が珍しかったのか、「チーノ?ハポネッサ?(中国人?日本人?)」と人懐っこい笑顔で話しかけてきて、大はしゃぎでカメラに収まろうとする。
銀行や高級レストランの前には銃を構えたガードマンがいてちょっと物々しかったけれど、日中の街中はいたってのんびりとしていた。
そんな中米の中でも人気の観光国だったホンジュラスは、2009年の政変による影響で失業者が増加、治安情勢が急激に悪くなってしまったと聞いている。